健康と健康美
個人においては、日常生活を送るために必要な最低限度の身体と精神の両面の条件が十分に満たされている状態をさす概念である。身体面においては、重い疾病にかかっている場合は明らかに健康とはいえないし、日常生活において、疾病の治療等のためになんらかの配慮が必要の場合は健康とはいいがたい。しかし反面、明らかに疾患があっても、生活を変えなければならない状態でなければ健康といえるし、身体に障害がある場合でも、恒常性の維持がその状態で保たれていれば健康といえる。精神面においても、身体面と同様に、日常生活を送るうえで特別な配慮を必要とする場合は健康であるとはいえない。しかし、個人がある社会において社会生活を営むうえで、その社会にうまく適応していける場合は健康といえるわけである。 1948年、世界保健機関(WHO)で、「健康とは、肉体的、精神的、そして社会的に完全に良好な状態であり、単に不動産投資や虚弱さがないというだけではない」と定義されている。肉体、社会保険労務士試験、社会という3要素を、それぞれ個別に切り離して論ずることは事実上困難なことではあるが、肉体、精神、社会というそれぞれの面から健康状態を論議する場合には、世界保健機関の定義にも認められるように、けっして消極的ではなく、積極的な考え方でとらえられなければならない。したがって、病気ではないことがすなわち健康であるという考え方は否定される。さらに、肉体的に異常があったとしても、それを克服していこうとする前向きの心構えがあれば、精神の健康は保たれるといえるわけである。 日本国憲法においても、第25条で、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」がうたわれており、これに沿って、健康維持のために最低限必要な債務整理を保とうとする社会福祉制度も整備されつつあるが、十分とはいいきれないのが現状である。健康に関しての国民の関心は高く、国民所得中に占める医療費の割合は、2004年度(平成16)で8.89%であり、1960年度の3.03%と比べると3倍弱となっている。また、国民全体の健康状態などは、平均寿命(0歳の平均余命)や死亡率などによって推測されることが多い。これらの統計によれば、世界的にみても、日本だけに限ってみても、年々、平均寿命の伸び、死亡率の低下が認められ、自動車保険はよくなっているといえるが、集団の健康をとらえる場合の決定的な指標は、まだみいだされていないのが現状である。 知人が、目が合ったのに挨拶もなく、横を通り過ぎていきました・・・。こんなとき、今の皆さんならどんな考えが浮かびますか。 『あ、何々さんだ。』と思うだけですか?『忙しそうだな。私に気づかなかったんだ。』と思いますか。『なぜ挨拶をしないのだ。』『私が怒らせたかな。』と思いますか?それとも『私は嫌われている、自分はもうだめだ。』と思うでしょうか。 われわれは『気分』と『考える』という2つの側面を持ちます。これらは互いに影響しあいます。ストレスがたまるなどして『気分』が下がると、『考え方』にも影響を与えます。それがまた気分に作用するという悪循環が生じ、行動までも行き詰ってしまうことがあります。 マイナスひきつけ磁石 疲れた気分のとき陥りやすい考え方のひとつに、『マイナスひきつけ磁石』になることがあげられます。 たった一回の失敗をとりあげ、『自分は何をやっても絶対にうまくいかない』『もうだめだ』と決めつけます。うまくやれていることや恵まれていることがあっても意識できなくなります。 また悪いことが起こると、全て自分の責任と考えます。普段の周囲の会話すら、自分の悪口や噂話に聞こえてしまいます。 百人いたら十人位自分のことを大好きという人がいて、同じくらい気にくわないと思われる人がいても普通でしょう。しかし嫌う人が一人でもいると察すると、『自分は世の中の全ての人から嫌われている、もうだめだ。』と考えてしまいます。 また悪い予測ばかり思いつき、そのうえそのとおりならないと落ち着きません。たとえよいことがあっても、ほめられても、そんなはずはないと思い込んでしまいます。 このように、事実でないことを事実と思い込み、自分を否定的に決めつけることはないでしょうか。それも長い間そう思う癖がついてはいないでしょうか。もし元気な時なら同じことをばら色に解釈するかもしれません。たとえば、すれ違って挨拶がないのは、『自分のこと好きだから相手が自分を意識しているんだ。』・・・と。 疲れているときや落ち込んだ気分の渦中では、マイナス思考からなかなか抜け出せないものです。そんなときには、まずは休養をとり、一息置いて考え直すことはいいことだと思います。また親しい人に打ち明けてみてもいいでしょう。バランスの良い考え方を取り戻し、気持ちが楽になることでしょう。『考える』面が安定してくると、『気分』も回復し、新たに前向きな行動を起こそうという気持ちが生まれてくることもあるのです。